2010年9月5日日曜日

Palais de Fontainebleau

12世紀、すでにこの場所にはお城がありました。
ルイ7世の土地だったそうです。
その後、フランスを支配する帝王が次々とこの地に住みました。

建築に力を入れたのは、フランソワ1世、アンリ2世、アンリ4世、ナポレオンなど。

8世紀にわたるさまざまな建築や芸術が、そのままの形で多く残っています。
フランス革命の際にも、建物には被害はなかったようです。

フォンテーヌブロー宮殿の歴史についてはwikipediaなどに任せることにして、
写真をどうぞ。
200枚以上撮ったのですが、見どころのみを載せます。

まず1枚目は、「白馬の中庭」にある馬蹄形の階段。
この庭は、上の写真にもあるように、宮殿も前面にあり、
「栄光の中庭」、「告別の前庭」とも呼ばれます。
皇帝から退き、セントヘレナ島に流されることになったナポレオン・ボナパルトが、
部下たちに最後の演説を行った場所です。

次は、フランソワ1世の回廊。
国王の居住棟と、聖王ルイが建てた礼拝堂を結ぶために作られた回廊で、
イタリア・ルネサンス様式の見事な回廊です。
フレスコ画や彫刻、羽目板で埋め尽くされています。

その聖王ルイが建てた礼拝堂、三位一体礼拝堂。
チャペルは2階建てになっていて、王族は2階で参加することになっていたそうです。
ルイ15世もここで結婚式を挙げています。


フランソワ1世時代に建設を開始し、アンリ2世が完成させた舞踏会の間。
たくさんの大きな窓により、大変明るい部屋です。


聖王ルイの間。
暖炉の上には大理石でできたアンリ4世の騎馬像があります。
ちょうどこのあたりが、12世紀から残る建物かも知れません。


フランソワ1世の部屋。
もとは王妃の寝室だったそうですが、晩餐会などに使われていたそうです。
絨毯が気持ちよさそうです♪


ディアナーヌの回廊。
ディアナーヌとは英語でDiana(ディアナまたはダイアナ)のことで、
ローマ神話に登場する女神(実はアルテミスと同一視されているらしい)。
アンリ4世が王妃のために作った回廊でしたが、
ナポレオン時代に図書館に改装されたそうです。
本がたくさんあって楽しそうですね。

皇后の寝室。
16世紀以降、王妃や皇后が寝室として使用しました。

そしてその隣にあるのが玉座の間。
国王の寝室をナポレオンが改装し、玉座の間に。


さらにその隣が、皇帝の寝室。
玉座の間と合わせて、ナポレオンにより改装されました。
椅子が面白いですよ。
暖炉側は暖かいように肘掛けが低く設計されています(笑)


その隣にあるのが「退位の間」と呼ばれる赤い部屋。
ナポレオンの退位を決定した「フォンテーヌブロー条約」。
ナポレオン自身が退位書にサインした部屋とされています。


フォンテーヌブロー宮殿にも、広大な庭園が広がっています。
1200mにも及ぶ運河まであります。
水を引き入れるのに1週間以上かかったそうです。



Googleで見つけてこのサイトへ来られた方のために・・・

※※ フォンテーヌブロー宮殿への行き方 ※※

パリ・リヨン駅(Gare de Lyon)よりSNCFのMontargis行きに乗車、
フォンテーヌブロー・アヴォン駅(Fontainebleau Avon)下車。
各駅停車で3駅目。約40分。
(2駅目のBois-le-Roiは小さいため、止まらない列車もあります。)
地上階にある青(Bleu)プラットホームから出発します。

フォンテーヌブロー・アヴォン駅からバス乗車(水色の路線)、約10分。
降りたホーム側のバス停から乗る場合には、バス停Aから出ます。
電車の到着に合わせて出発します。


※ 参考情報(2010年9月5日現在) ※

基本料金について
・電車の切符はパリ内のどの駅でも購入可能で、パリ市内から片道8.05Eです。
・バスの運賃はバスの中で購入可能で、片道1.8Eです。
 (あらかじめ切符を買ってある場合には、片道1.7Eです。)
・宮殿の一般入場料は10E、ミュージアムパス使用可、毎月第1日曜は無料です。

お得な方法
・フォンテーヌブロー・アヴォン駅はÎle-de-Franceのゾーン6に属します。
 ゾーン6までのモビリス(Mobilis)やパリ・ビジット(Paris Visite)を買えば、
 電車往復のほかフォンテーヌブロー・アヴォンからのバスにも乗車できます。
 モビリスは17.3E、パリ・ビジット1日券は18.9Eで、ともに乗り降り自由です。
・ミュージアムパスをお持ちの場合や、入場料無料の日に行かれる場合には、
 モビリスがお買い得です。
・パリ・ビジットには入場料割引などの特典があります。
 フォンテーヌブロー宮殿の場合は、入場料2E割引の特典を受けられます。
 詳しくは、RATPのホームページでご確認下さい。
 右上に言語選択ボタンがあり、日本語も選択できます。
・入場料とセットになったフォルフェ(Forfait)と呼ばれるチケットが
 販売されていたようですが、2008年12月で販売中止になっています。

2010年9月4日土曜日

Cuisine presque tous les jours

最近料理の写真を全然載せてません。
でも、毎日ちゃんと作ってるんですよ。

ただ、レパートリーがそんなにないので、
いつも同じものになってしまうのです。
それで写真を載せてないだけです。

そういえば、今週ビザを取りに行った帰り道、
アジアの食品を扱うお店を発見!
看板をよく見ると、ベトナム、タイ、・・・・・日本。

ん?

なんと!歩いて10分ぐらいのところに日本の食材を売る店が!!

中に入ってみると、醤油や味噌、酒などの調味料のほか、
米、うどん、そうめん、ラーメンなど日本のものがいっぱい♪

そんなわけで、今日は昼も夜も和食にしてみました。



昼はうどん。わかめと梅をのせて食べました。
夜は味噌汁と野菜炒め。
ズッキーニがおいしくて、何にでも入れてよく食べます。

ところで、ズッキーニってイギリスはクールジェット(Courgette)って言うんですよ。
フランス語でもクールジェット(Courgette)です。
きゅうりに似てますが・・・実はかぼちゃの仲間です。

Voyage en Normandie: (5) Le Havre


今日の宿泊地、ル・アーブル。
セーヌ川右岸の河口にある大きな港湾都市です。
有名な「ノルマンディ上陸作戦」の後、ドイツによって占領されていたこの町は、
イギリス軍による「最も苛烈な爆撃」にあい、ことごとく破壊されます。

戦後、ベルギー人建築家のオーギュスト・ペレ(Auguste Perret)によって
まっさらな状態から再建されました。
ペレは「コンクリートの父」と呼ばれており、
都市の再建にはコンクリートをふんだんに利用しました。

コンクリートで作られた建物の連続。。。
そのため、ル・アーブルはただの近代都市です。
戦後の復興都市ということで、世界遺産に登録されているそうです。
(私には全く理解できませんが。)

まぁそんなわけで、この街は観光しません。ただ泊まるだけです。
大都市なので、ホテルがたくさんあったのです。
直前でも問題なく予約できました。


到着したのは夜10時。すでに日は沈み、暗くなっていました。
ホテルでレストランを教えてもらって、早速出発!

港湾都市だけあって、大型船のドックみたいなのがあり、
真ん中に浮橋の歩道がありました。浮橋からの風景は綺麗です。


探すこと15分以上。 レストランは見つかりませんでした・・・orz
たぶん、もう少し奥の方にあったのでしょう。

でも10時半を過ぎてお腹もすいてたので、ホテルに引き返すことに。
結局、近所のブラッセリーで食べました。

ちょっと冒険して、今日のおすすめのうさぎ(!!)を食べました。
鳥肉みたいで、まぁまぁの味でした。

ホテルの部屋(写真を撮り忘れたorz)は、値段の割に広くて清潔で快適♪
ベッド、布団もすごくよくて、ぐっすり眠れました。

明日は再度エトルタに行って、それから後半戦の開始です!

Voyage en Normandie: (4) Étretat

今回のノルマンディ旅行で、最も訪れたかった場所、エトルタ。
断崖に囲まれた海岸に面し、丘陵に囲まれた小さな町エトルタは、
ブーダン、クールベ、モネなどの芸術家を魅了してきました。

朝からずっと曇り空でしたが、エトルタに近づくにつれ快晴に!
町に車を止める前に、先に丘の上に向かいました。
そして・・・

あまりの美しさに、みんな言葉を失いました。
解説は後にして、まずは写真をご覧下さい。









エトルタの海岸は、二つの大きな断崖に挟まれています。
西側(海に向かって左)にあるのが「La falaise d'aval(アヴァル(下手)の崖)」。

東側(右)にあるのが「La falaise d'amont(アモン(上手)の崖)」。

崖は海水で侵食されて大きな穴が開き、「門」のようなアーチを作っています。
それぞれ、「La porte d'aval(アヴァルの門)」、「La porte d'amont(アモンの門)」と
呼ばれます。
我々が上ったのは東側。つまり、アモンの崖の上だったので、
アヴァルの崖、アヴァルの門がよく見えました。
(上から3枚目の写真が、アヴァルの崖の拡大写真です。)
アヴァルの門は、作家モーパッサンが「波の中に鼻を突っ込んだ巨象の姿」と
表現したことから、「象の鼻」と呼ばれています。

そして、象の鼻のすぐ向こう側には、針のように尖った岩があります。
これが「L'aiguille(針)」と呼ばれる岩で、モーリス・ルブランの小説「奇巌城」の
舞台となっています。

エトルタには、アヴァルの門、アモンの門の他に、もう一つ
「Manneporte(マンヌポルト)」と呼ばれる大きな門があります。
これは、アヴァルの丘からさらに西に進まなければ見れません。
到着が夕方(7時半過ぎ)でしたので、行くのは諦めました。
マンヌポルトは、モネに描かれています。

アモンの丘には、教会(礼拝堂)があります。
「Chapelle Notre-Dame de la Garde」。そう、これもノートルダムでした。
第2次世界大戦で破壊され、1950年に再建されたものだそうです。


最後に、エトルタの町を紹介します。
大戦中、病院として使われた建物。町の中心部にありました。

木組みの家がほとんどで、とてもかわいい(Très joli)です。

今日のおすすめコースが、魚料理になっていたレストラン。
ノルマンディのお魚、さぞかしおいしいことでしょう!
建物も非常に古く、味がありますね。


4人ともまだお腹がすいてないということで、ここでの食事を断念。
宿泊地のル・アーブルに向かうことにしました。
でも、みんなこの町がお気に入り!
よって明日の朝もう一度来ることに決定しました♪

2010年9月2日木曜日

La fin d'été


夏は終わったなぁと感じる瞬間。

(1) 寒い。
  実に寒いです。今日は天気がよく暖かいほうで、現在22度。
  朝は13.2度だったらしいです。
(2) 職場の入口のゲートが開いた。
  8月の間は、金属製の大きなゲートが閉まったままになっており、
  ゲートについている小さいドアを使って出入りしていました。
  月曜からゲート全開です(笑)
(3) 人が増えた。
  バカンスから人が戻り始めたようです。
  朝から建物の前に行列ができています。
  どうやらフランスでは、列を作って並ばせるのが好きみたいですね。
(4) お店が開き始めた。
  近所のサンドウィッチ屋が、ちらほらと開店しはじめました。
  職場内の食堂も開いていました。
  今日食堂で食べましたが、ちょっと値上がりしたみたいです。
  隣のオジさんが、コーヒーチケット見て、高い!とボヤいてました。
  (値上がりしたとしても1E以下のはず。)
(5) ポールが帰ってきた(笑)
  久しぶりに2人部屋。なんか妙にうれしいです。
  しかし、AFで荷物全部ロストしたらしく。。。家族の分までなくなったとか。
  今着ている服が最後の服だと言って笑っていました。かわいい(笑)

ま、要は(5)が言いたかっただけです(笑)

※ 写真と内容は全然関係ありません。

2010年9月1日水曜日

Voyage en Normandie: (3) Rouen

オート・ノルマンディ地域圏の首府、ルーアン。
中世から都として栄え、特に大司教座が置かれたことから、
非常に大きな教会が作られました。
それが、ルーアン大聖堂です。



正式名称は、Cathédrale Notre-Dame de Rouen。
そう、ここもノートルダムなのです。
世界遺産には登録されていないそうですが、
北フランス3大大聖堂(シャルトル、アミアン、ルーアン)の一つです。
フランス最大のゴシック建築とも言われ、ファサードの細かさは実に見事です!

モネは、季節や時刻によって変わりゆくルーアン大聖堂の絵を、
なんと33枚もの連作として作成しました。
あいにく、正面は改修工事中で、カバーで囲まれていたため、
同じ構図の写真は撮れませんでした。
(上の写真は、1、2枚目が右側面、3枚目のみ正面です)

教会内部も大変荘厳な感じでした。



ルーアン大聖堂のほかにも、非常に有名な教会がもう一つ。
それが、聖ジャンヌ=ダルク教会(Église Sainte-Jeanne-d'Arc de Rouen)です。


仏英間の100年にもわたる戦争において、フランスの勝利に寄与したとされる
英雄ジャンヌダルクは、1430年5月、コンピエーニュの戦いで捕虜となり、
イングランド主導の裁判により火刑に処されました。享年19。
英雄はなんとティーンエイジャー。今なら女子高生です。

1449年、イングランド軍からルーアンを取り戻したフランス王シャルル7世は、
ジャンヌの裁判を再調査、1456年には処刑裁判の破棄が宣言されています。
そして、500年以上経った1920年、列聖されて「聖女」となりました。
教会にあった銅像は、鎧を着て旗を振るジャンヌダルクとは裏腹に、
可憐な少女のようでした。

さて、ルーアンの街並みですが、新旧の建物が入り乱れた感じで
全体的にはいまひとつ統一感が感じられませんでした。

とはいえ、大時計やアーチの裏側の彫刻、木組みの家など、
見どころはたくさんあります!







朝7時にパリを出発してすでに10時間が経過(上の写真は17:30に撮影)。
朝は曇り空だったのですが、だんだんと天気がよくなってきました。
次の訪問地エトルタは、今回の旅で一番行きたかったところ。
日が沈む前に行きましょう!

La troisième fois!

La troisième fois est toujours la bonne.
直訳すると、「3度目はいつもいい」。
英語では、「Third time lucky」と言います。


ところで、海外旅行するとき、ただパスポートをとればOKと思っていませんか?
それって、実は観光ビザが免除されているからなんですよ!

日本のパスポートは世界最強とも言われますが、
観光ビザを免除してくれている国の数が世界でいちばん多いらしいです。
つまり、短期間の観光(90日とか15日以内など、国によります)なら、
パスポート見せるだけで「はい、どうぞ」。
これまでの日本外交や、悪事を働かなかった先輩に感謝しなければなりませんね。

ところが!
長期滞在するとなると、ビザは免除されません。
入国時には「入国ビザ」が、滞在するには「滞在許可証」が必要。
申請はかなり面倒で、取得まで時間がかかります。


この滞在許可証、一度貰ってしまえば期限内なら何度でも入国可能となります。
例えば私の場合、滞在許可証がもらえれば、
一度他国へ行って、フランスへ戻ってきたとしても、
フランス人と同じように(当然のように)入国できるのです。

でも今はまだ「仮」状態のレセピセしか持ってません。
よって完全に外国人扱い。
もし今出国すると、なんとフランスに入国できなくなるのです。
イギリスには観光ビザ免除で入れるにもかかわらず、再入国不可。
日本へ強制送還。
これは、滞在許可証申請中であってもダメらしいです。
(滞在許可証更新中はOKみたいです。)


ではどうするか。
「Visa Retour」と呼ばれる再入国ビザを取らなければなりません(ー_-;)

実は先週から2度ほど足を運んでいたのですが、
書類不備やら写真忘れるやらで今日が3度目。
3度目の正直なるか!
 


はい、何とかGetしました!!
即日発行です!
やったぁーこれでイギリス行けるぅー \(^○^)/♪

印字が薄いのですが、よく見ると「Plusieurs voyages」、
「Tous Pays」と書かれていますね。
これ英訳すると「Several trips」「All countries」なんですけど・・・
あぁそうですか。そういうことですか(笑)
有効期限は10月25日。がんばります!!!!!(笑)


最後に、パリでVisa Retourを申請するのに必要なものを以下に記しておきます。
(Google検索でこのサイトを見つけた方のために。。。)

場所: Préfecture de Police de Paris(シテ島)
Escalier E, Salle des Visas (Niveau 0)

(1) パスポート
これを忘れることはないでしょう(笑)
ビザはパスポートにスタンプされます。
(2) Récépissé原本、コピー1部
Carte de Séjour申請中であることの証明です。
原本は手元に戻りますが、コピーは回収されます。
(3) 申請書1枚
Visaセクションの受付でもらいました。
記入するのは表側のみです。
(4) 写真1枚
申請書に添付して提出します。
(5) Attestation(証明書)
国際会議の招聘状を学会事務局に作ってもらいました(PDF)。
窓口でフランス語訳を要求されましたが、部屋の奥の方にいた人
(たぶん英語のできる方)が書類を読んで、今回はOKとなりました。
回収されますので、自分のためにコピーをとっておきましょう。
(6) 収入印紙(6ユーロ)
Prefécture de Police内で購入できました。
先に買っておかなくてもOKです。
書類確認のあと、買いに行くように指示が出ます。
(買いに行っている間にVisaを作ってくれます。)